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P-38 (航空機) : ミニ英和和英辞書
P-38 (航空機)[ぴー38]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

航空 : [こうくう]
 【名詞】 1. aviation 2. flying 
航空機 : [こうくうき]
 【名詞】 1. aircraft 
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
: [き, はた]
 (n) loom

P-38 (航空機) : ウィキペディア日本語版
P-38 (航空機)[ぴー38]

P-38 ライトニング (P-38 Lightning) は、ロッキード社が開発し、1939年アメリカ陸軍に正式採用された双胴(正確には三胴)、双発、単座の高速戦闘機
愛称であるライトニング(Lightning)は稲妻の意味。ただし、これはアメリカではなく、イギリスが採用した際の機体名として「ライトニングI」と命名された物の逆輸入である。日本側では「メザシ」や、戦争初期、低高度性能が低く格闘戦に持ち込みやすかった頃に「容易に撃墜できる=ペロリと食えるP-38(=Pろ8)」から「ペロハチ」と呼んでいた。しかし、速度を生かした一撃離脱戦法に切り替えてからは撃墜対被撃墜比率が逆転、速度ではるかに劣る日本機を寄せ付けない強さを発揮し、「双胴の悪魔」と称されるようになった〔坂井三郎、『大空のサムライ上-死闘の果てに悔いなし』、講談社<講談社+α文庫>、2001年4月20日、187頁。〕。
米軍エース・パイロットの中でそれぞれ第1位と第2位の記録を残した、リチャード・ボングトーマス・マクガイアの搭乗機も、共にP-38である。また、太平洋戦争における日本軍機の撃墜数は3,785機とされており、これは米軍機の中ではF6FF4Uに次ぐ第3位の撃墜数である。
一方イギリスに展開したP-38も一撃離脱でドイツ機と戦ったが速度で同等、機動性で大幅に劣るP-38はドイツ空軍単発戦闘機に大いに苦戦した。
1943年5月以降、それまで航続距離がスピットファイアと大して変わらなかったP-47 サンダーボルトに外装補助タンクが取り付けられ、重爆の護衛にもついていけるようになるとP-38 ライトニングは地中海やイタリアへも送られ、主にヤーボとして地上攻撃に猛威を振るった。
== 開発経緯 ==

1930年代後半、列強諸国で配備が進められていたメッサーシュミット Bf109やスーパーマリン スピットファイアなどに対し、アメリカ陸軍航空隊で配備されていたのは、あまり高性能とは言えないP-35P-36 ホークなどだった。しかし国際情勢の緊迫により、議会などから高性能戦闘機の配備を求める声が高まった。アメリカではボーイング社で排気タービン過給器を備え高高度性能が優れた戦略爆撃機(のちのB-17 フライングフォートレス)開発も始まっており、敵国がこのような戦略爆撃機を開発した場合にこれを迎撃する戦闘機の必要を認識したと思われる。1937年2月、アメリカ陸軍は各航空メーカーに対し単座・高々度防空用の迎撃戦闘機の開発を命じた。この時の要求は、最高速度は580km/h、上昇力は高度6500mまで6分以内とされた。この要求に対し最終的にロッキード社のモデル22、開発中であったベル・エアクラフト社のモデルB-4(後のP-39)が選定され、モデル22は6月に名称XP-38として開発要求が出された。意外だが、本機は高速旅客機専門のロッキード社が本格的な軍用機として設計した初の機体で、当時は軍での実績は皆無な新参メーカーとして見られていた。
XP-38は高速力を出すために発動機を2基搭載した双発・双胴機となり、中央胴に操縦士が乗り込む設計となった。双胴機のため、機体後部にある方向舵は2つあり、昇降舵は2つある方向舵の間に1つある配置となっており。降着装置は前脚式を採用している。爆撃機を迎撃するのが目的であるため、格闘戦向きに運動性をよくするよりも、一撃離脱戦法に向いた高速・重武装の重戦闘機として設計された。エンジンは離昇出力l,150馬力を発揮する液冷V型12気筒アリソンV-1710-29/17(それぞれ右/左)エンジンが搭載され、トルクを打ち消すため互いに内方向に回るようにされ、また高高度戦闘用に排気タービン過給機を搭載した。武装は中央胴にプロペラがないため強力な武装ができ、25mm機関砲か23mm機関砲×1、12.7mm機関銃×4が機首に装備される予定であった(実機は未装備)。XP-38は全備重量が6,200kgにも達し翼面荷重が高いため、離着陸用にファウラー・フラップも装着された。
XP-38は1939年1月1日に地上滑走試験で溝に突っ込んで機体を破損。ようやく1月27日に初飛行し、15日後の試験飛行では要求を遥かに上回る最高速度675km/hを記録した。まだ尾部の振動や、フラップの不具合など解決すべき点は多かったが、北米横断飛行スピード記録に挑み、2月11日、ベンジャミン・S・ケルゼー中尉によって西海岸のマーチフィールドから東海岸のミッチェルフィールドまで二回の給油を挟み、飛行時間7時間5分で結んだが、到着寸前にエンジントラブルにより胴体着陸して機体は失われてしまった。
だが、この結果に満足した陸軍から、YP-38として13機が発注された。YP-38はプロペラの回転方向も外回りになるように変更され、空気吸入口が発動機上部に移され、武装も37mm機関砲×1、12.7mm機銃×2、7.62mm機銃×2へ変更された。欧州情勢の緊迫と共に、さらに66機が発注され、またその後に600機が発注された。9月、YP-38はP-38として制式採用された。武装は37mm砲はそのままだが、7.62mm機銃が撤去され、12.7mm機銃×4へ変更された。
1940年にはイギリス空軍からP-38購入の打診があり、英国仕様の機体を「ライトニングI」としてロッキード社は納入したが、軍事機密として排気タービンは外され、エンジンも同方向回転型のアリソンV-1710-C15R(離昇出力l,090馬力)
と言った代物で、これはカタログデータとは似て非なる完全なモンキーモデルであった。当然、実機テストは散々な結果に終わり、英本土にあった3機以外の受け取りは拒否されてしまった。この時生産ラインにあった「ライトニングI」140機はP-322のコードが付けられて、代わりにアメリカ陸軍が引き取る形となったが、無論、実戦に使える機体ではなく、米本土での訓練や雑用に使われただけに終わっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「P-38 (航空機)」の詳細全文を読む




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